Naraya cafe
 
 
NARAYAの歴史
ここではNARAYA CAFEの母体となった奈良屋旅館の歴史について概観します
 
奈良屋旅館の創業時は定かではありませんが、初代は江戸元禄期(1700年前後)に湯宿としての営業を始めたものと思われます。
江戸後期、奈良屋の湯は湯船に映る三日月が満月になるまでこの湯で湯治をすればどんな難病でも快癒することから名湯「三日月湯」として喧伝されていました。
江戸末期になり一夜湯治が公認されるようになると、諸大名やその家族が本陣として宿泊するようになりました。
このように格式の高い宿であったため、幕末以降は外国人達の人気の滞在先となりました。
その後、奈良屋は宿名を「Naraya Hotel」と改称、富士屋ホテルと外国人客をめぐって熾烈な顧客争奪戦を繰り広げました。そのため1893(明治26)年に両者で協定を結び、富士屋は外国人専用、奈良屋は日本人専用とすることで棲み分けを行いました(大正はじめまで)。
その後、奈良屋は多くの政財界人に愛され営業を続けてきましたが、2001年6月、相続の負担などにより300年余りの歴史に幕を閉じました。
 
 
明治初期の奈良屋旅館
明治天皇が宿泊した当時の姿。1884(明治17)年の大火により焼失してしまいました。
 
明治後期の奈良屋旅館
1887(明治20)年建設の本館(左)および西洋館(右)。西洋館は関東大震災で倒壊してしまいました。
 
庭園内の明治天皇行幸記念碑
1873(明治6)年8月、明治天皇・皇后は避暑の為箱根に行幸し、奈良屋に約三週間にわたって滞在しました。
 
大名宿泊時の御入湯控
九州熊本藩主細川肥後守の大名行列が箱根を通過した折は、総勢500名のうち肥後守以下200名が奈良屋に宿泊し本陣となったと記されています。
(「肥後守様御泊御下宿控帳」)
 
奈良屋旅館鳥瞰図
本館を中心に一号館・十号館まで10棟の別館が庭園内に散在していました。別館の一部は寮などに転用されていましたが、2001年の閉館時まで基本的にこのままの形でした。